2019年11月6日水曜日

「査読」という古い文化について

最近、Githubをそれなりに使い始めていろんな機能があるなぁ、と思い始めているわけですが、その中で「査読」っていうプロセス自体はGithubの時代には古いやり方なのかもしれない、と思ったりしています。(個人的な感想だけど。)

Githubの機能にはたくさんの機能がありますが、そのなかでも Issues と Pull Request が良い機能だと思います。
従来の査読の問題点だと思うのは

1.基本的に密室で行われているので、査読者と編集者の意向に左右されやすい(査読者などには当たり外れがある)
2.一度 publish されてしまうと、そのあと間違いがあっても余程の間違いでないと修正されない
3.論文を読んだ人が新しいアイデアとかできても、それを掘り下げるような議論をする場所がメールだったり国際会議だったりに限定されてしまう
4.arXivにあがっている原稿と比べると、査読を通ったあとの最終稿のほうが質は当然上回るけど、ほとんどの場合はarXivの原稿の時点で研究の核となるアイデアは理解できる。つまり、arXivの原稿を読んでいるだけでも、かなりの研究ができる時代になり、査読の相対的重要性が下がった

などなどだと思います。
このあたりが Github で論文を公開して、そのあとを Issues なりでフォローしていくようになれば、かなり改善できる考えられます。


まぁ、実際にやろうとしたら脈々と続いてきた古い文化をなくすので相当大変だと思います。その一方で例えば「Githubの運営者が勝手に編集できてしまうのでは?」とかいう疑問などについては「Gitlabとかを複数たててミラーリングする」なり「論文掲載にブロックチェーンの情報を追加して改ざんすると分かるようにする」なり、いろんな疑問も現在のITを使うと結構クリアできるのでは?と楽観的に考えたりもしています。

もちろん、査読にもいい面が当然あるわけで、世の中で使われているわけです。
ただ、Github など最近のものに触れていると、そういったものも変わっていくのが世の中にとっては必然なのかもしれないなぁ、と思ったりする、というところです。

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